ナルコレプシーです、お見知りおきを

世界で日本人が一番多い過眠症、ナルコレプシーに関係あること、ないこと。

当ブログのスクリーンショットをインターネット上に載せるのはやめてください。
インターネットとは、TwitterをはじめとするSNSも含みます。

あなたの眼はスマホの画面を見つめるためだけにあるものではない。

ながら歩きはとても迷惑

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スマホを始めとする機器やゲーム画面を見ながら、操作しながら歩く「ながら歩き」が社会問題となっていますね。スマホに限定した名称ですと「歩きスマホ

ながら歩きのホーム転落事故や、接触転倒事故など。

その中でも個人的に最も迷惑だと感じる行為の一つは「歩きスマホをしながら電車乗り降り」です。(たまにタブレットの人もいます)

なぜならば 進 む の が 超 遅 い

もともと歩くのが遅い人はしょうがないですよね。それから杖をついていたり、荷物が多くて遅い人も然り。そんなときは寛容的な気持ちで乗り降りが完了するのを待てます。だって仕方のないことですもの。仕方のないことについては受け入れるくらいの懐はあります。

だがしかし。歩きスマホをして乗り降りする人を待ちたくない。人為的に遅く歩いている人たちをなぜ待たねばならないのか。そんなに大事なの、ゲームが、動画が。ウェブ画面が。下(スマホ)じゃなくて前向いて歩いて欲しい。心から。

そんなに無理なスマホ依存というのならば、せめて乗り降りの数秒だけでも!! 前を見て歩いて欲しい

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目次

 


 

こんな現象は日本だけかと思っていましたら、他国でも似たようなご様子。

「Seeing Eye People」

最後にアメリカの「ImprovEverywhere」の「Seeing Eye People」という動画を紹介する。

盲導犬のdogを人(people)に擬えたタイトルで、オレンジのベストを着た「Seeing Eye People」が「ながら歩き」をする人々の「目」となって道を歩く(その姿が盲導犬のようであることからSeeing Eye people)。

「ながら歩き」の人々は彼らについて歩くだけだから、スマートフォンや音楽に集中できるという動画である。滑稽なシーンであるが、「ながら歩き」をしている人がどのように歩いているのかがわかる。格好悪いうえに危険であることが見てとれる。

「人の振り見て我が振り直せ」ではないか。自戒も込めて。

引用:「ながら歩き」は危険がいっぱい 

どうしても ながら歩きで公道に出たいならば人を雇って動画のようにしてもらいたいです。

ドコモの公式からはこのような動画も発表されています。こちらは渋谷スクランブル交差点の横断者が全員歩きスマホでだったらというシミュレーション動画。

青信号46秒間の間で横断に成功した人は 「547/1500名」! 驚愕の数字です。みんなちゃんと前見て歩きましょうね。

・歩きスマホ中の視界は通常時の 約1/20 になる

・歩きスマホ中に対象物に気づくのは1.5mまで近づいてから

(上記動画より)

それから最近はスマホ歩きを狙った当たり屋の被害もあるらしいです。 「自分は大丈夫」なんて根拠のない自信は持たない方がいいと思います。


対談中にスマホ操作する人の気が知れない

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今度は歩きながらではなく、会話しながら・食事しながらの話。

何もしていなくても、飲食店でテーブルの上にスマホを置く行為。飲み物こぼしますよ。自分が気をつけていても、他人がうっかりてことはありえます。そもそも待ち合わせ中ならまだしも、使わないのにスマホを側に置いておく必要性がわかりません

会話中の操作。どうしても今返さないければならないメッセージを作成しているのならば、私だって行為を遮りません。けれどたいていの人は「どうしても」ってそんなに数多くないと思うんですよねー。

街でよく見かけます。飲食店にて、女性2人でいるのにお互い視線の先はスマホで無言という光景。

男性4人が集まって全員が自分のスマホに釘付けの姿のときもありました。そんなに珍しくないです、向かい合って座ってスマホを見ている人たち。そんなに皆さん緊急を要しているんですかね。

実際は多くの人が、誰かと一緒にいながらスマホで見ている先がツイッターって!! ゲームって!!!

そんなに退屈なんですかね。そんなにコミュニケーションをとる気がないんですか。そんなに一人の世界に入りたいんですか。それともそんなにスマホ依存しているんですか。他人事ながら私はひどく悲しいです。

TEDトークにてジョハン・ハリさんが言っています。

・人生の大変な局目にて、傍にいるのはツイッターのフォロワーではない

立ち直らせてくれるのはフェイスブックの友だちではない

顔を合わせた付き合いでお互いを知り尽くし、深い人間関係を持つ生身の人間であるはず

引用 :

 

例えいくらコミュニケーションが苦手だったとしても、生身の人間とのコミュニケーションは軽く見てはいけないんです。一緒にいる相手が今の時間を、自分と過ごすことに選択してくれているということは忘れてはいけないんです


そういう自分は?

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ながら歩き

このブログを書いている私はですね。しません、ながら歩きなんて。見ていなくてもスマホを持ちながら歩くことも好きではありません。

唯一、道で見る(ことがある)としたら、初めての場所に行くために地図を開いているときくらいです。そして画面で地図を確認するときは、毎回道の端によって立ち止まるので本当に「ながら歩き」はしません。

それはコンクリートの上にスマホ落としたくないから・ぶつかったり、他人の迷惑にもなりたくないからです。そして一番は、用もないのに外でスマホの画面を見ていたくない、です。

全ての現象において「自分は大丈夫」という傲慢なことは思っていません。何かに対して「自分は大丈夫」と思っていた時期がないとは言いませんが、そう思っていたとしても、眠気に対して「自分は眠らない、大丈夫」と思っても勝てずに寝落ちてきた人生ですから

そのうちに自分は最も信じられない存在のうちの一つになりました。(用心という点ではプラスに働いています)

対談中とスマホ

誰かと一緒にいるときはスマホを極力操作しないようにしています。通知がうるさいときはオフラインにする程です(通知オフより操作が簡潔なので)。 テーブルの上には置きません。カバンにしまいます

今一緒にいる人との時間を大事にしたいと常々思っているのでそうしています起きていられる時間は大事にしたいんです

眠気が一定の域に達しますと、強制シャットダウン(寝落ち)してしまう悲しい身体 (byナルコレプシー)を持っていますので、きっと余計にそう思うようになったと感じます。

私の眠りは迷惑?

迷惑なこともあるかもしれません。その節は申し訳ありませんでしたっっ! と思うことは何度もあります。あの日のあの人、その節は申し訳ありませんでした!!

ただ、(言い訳のように見えるかもしれませんが)知っていて欲しいのは、過眠症の人間が活動中に急に眠るのは生理現象のようなもの だということです。私にとって眠りは呼吸の一部のようなものなんです。呼吸はどうにもできません。申し訳ありません。

 

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