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改憲草案で新設された家族についての項目を読んで考えたこと

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家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

引用:日本国憲法改正草案 | 自由民主党 憲法改正推進本部

 

2016年7月の参院選挙に向けて、憲法改正についてが一つの争点になっていますね。 その手の意見で、よく目にするのは9条について。確かに私も関心が高い項目の一つですが、今回はそれ以外について書きます。その中でも内容が気になったのは上記の文面です。

 

 

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大事なことの確認

憲法 ⇒ 権力者に守らせるもの

法律 ⇒ 国民が守るもの

 

 

上記のように憲法とは権力者に対して、国民が守らせるものです。権力者とは、公務員全般のことを指しています。政治家をはじめ、役所の職員なども含む「公務員」と呼ばれる人たちです。彼らに守らせるために憲法が存在するのです。

 

憲法は、国家の最高法規。いろんな法律の親分のようなものです。 ただし、一般の法律の多くが、国民が守るべき内容を定めているのに対して、憲法は、「その国の権力者が守るべきもの」なのです。世界の長い民主主義の歴史の中で、憲法は、国家権力を制限し、国民の自由と権利を保障するものとして成長、発展してきました。どんな権力も、憲法の規定に従って統治しなければなりません。この原理を「立憲主義」といっています。

引用:『超訳 日本国憲法』池上彰 /新潮新書

 

話は戻りまして、 「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」について

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掲載元:【自民党憲法改正草案】見やすい対照表で現憲法との違いが分かる! 憲法改正草案 第24条 (家族、婚姻等に関する基本原則)

 

 

個人的感覚としては、「家族」を大事にするか、助け合うかは個人レベルの感情であって、他人が介入することではないと思うのです。もし憲法で「互いに助け合わなければならない」と定められなければ行わないような間柄なのであれば、それはただの書類上の呪縛です。せっかく「家」制度が衰退し、個人 が尊重されるように動いているのに、後退してしまう気がしてならないのです。書類上の「家族」が機能しなくなってしまった場合を救済するのが行政であり、それが福祉と呼ばれるものではないのでしょうか。

 

家族は時につながりであり、時に呪縛にもなり得るのです。

 

「昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われている」、なので新設したと書かれていますが、むしろそれがヒトの本質で、なるべくしてなったのだと思うのです。家族で助け合おうと思う人は、他人に言われなくてもそうしますし、逆の人はどうあったっても無理でしょう。

 

 

以下引用の筆者は「家族や血縁関係は絶対ではなく、人間関係の一つにすぎない」と主張しています。確かにそうですよね。家族というものは他人によって「尊重」されることはあっても、つながりを強制するものではないのです。

 

私が主張したいことは、家族や血縁関係というものは絶対ではなくあくまでも人間関係の一つに過ぎないということです。心身の健康に危険を感じた場合、自分を最優先に逃げるという選択肢があるということです。世間は無責任に、相手の状況や過去や心情を一切考えず根拠も無く「家族からは逃げられない」「家族を大事にしろ」と押し付けてきます。これは社会全体で洗脳された筋が通らない常識なので、無視して問題ありません。家族という関係性が手放しで素晴らしいものに値するなら、虐待死が起こることはありません。虐待死は、家族という関係性に甘んじて子供を親の所有物のように扱う人がいるからこそ起こりうることです。子供は子供、親は親と考えられない人が存在します。

引用:毒親から逃げる方法|原わた|note

 

 

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 人の意見とは、必ずしも偏るものです。今回の記事をただの「偏った意見」として読み流すも、共感されるのもそうでないのも自由なことです。願わくは、ご自身の意見について考えるきっかけになることです。

 

 

 

これがただの偏った意見の記事にならないために、反対意見についても引用します。 ある書籍からの、家制度を推進する意見です。きっとこちらの著者は、家族制度が復興することに対して前向きなのでしょう。

 

ほとんどの母親は理屈ではなしに、本能的に、子どもを社会に役立つ人物に育てあげる教育の根幹を心得ていたのです。昔の母親は決して自己主張しませんでした。とうとうと流れ続くご先祖からのいのちの流れの中にある自分であり、自分の子どもであるという自覚がありました。

(中略)

これまでの家族制度は、すべての悪の根源であったが、これを打破することで、女性の未来はバラ色だと声高に語りました。女性たちは、しだいに熱にうかされていきました。昭和二十三年、民放が改正されますと、進歩的な女性たちは旧民法の家制度の下での、女性差別などをかぞえあげました。子どもを生まない自由だ権利だとまでいいたてました。現在、少子化がすすみ、国の将来の大きな不安材料になっていますが、この指導がその遠因にんっていることはたしかでしょう。 戦後数十年、このようにして、わが国の家族制度は、もののみごとに崩壊しました。破壊されました。女性が壊したのです。親を大切にした先祖を敬い先祖を敬い国家を愛する民族の、美しく強い縦のきずなの土台を壊してしまったのです。

引用:『誰も教えてくれなかった日本神話』出雲井 昌 /講談社

 

憲法改正草案について気になる方は是非ご覧になってください。引用にも使用しているこちらのリンクはとても見やすい仕様でした。