物事は連鎖していきます。良くも悪くも。世に存在する、数ある連鎖の一つがコレ。
二次障害とは
子どもが抱えている困難さを周囲が理解して対応しきれていないために、本来抱えている困難さとは別の二次的な情緒や行動の問題が出てしまうものを、二次障害といいます。それは、心理的な要因から起こるもの、身体的にも影響を及ぼすものなどさまざまです。また、軽度発達障害は単独障害のみならず、PDDとADHD、LDとADHD、PDDとLD というように軽度発達障害同士の合併や、二次障害などから派生した別の症状・障害と併存することも多いのが現状です。
現在確認されている疾患の中で、二次障害を引き起こすものはいくつも存在します。
代表されるものが各種発達障害。また、ナルコレプシーや特発性過眠症などの睡眠障害も二次障害を起こしかねないのです。
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目次
過眠症(の共通する) 特徴
・周囲の環境、自分の意志、感情などには左右されることなく眠りに落ちる疾患。⇒ 自分で考えられるあらゆる対策をしたところで起きていられない、無理だった。
・「自分もよく眠っちゃうよ」「○○のときは眠くなるよね」と仰る方々が、想定しているであろうものを遥かに超える眠気。
・「眠気は我慢できる」ことだとは、ある時までは知らなかった。
(ガマンできるような眠気ならば、そもそも悩んでいない)
二次障害はなぜ起きるのか
過眠症の場合、
発症初期~数年間、「一般的には 眠 い の を ガ マ ン で き る」と本人が知らないことが一因の一つになると思われます。
自発的思考:
みんな眠くても起きているのに私だけが起きていられない。自分はダメなやつだ。どうして同じことが出来ないんだ。ただ起きているだけなのに。 ⇒ 繰り返し抱く自己嫌悪のため
他者による不適切対応:
「どうしていつも寝ている(眠そう) なの?」 あいつは怠け者だ。あいつはやる気がない。 ⇒ 繰り返し罵倒・叱責されるため
なんて理由を考えていましたら、発達障害が発端の二次障害の理由も似たような感じでした。
発達障害の「二次障害」について
発達障害の子どもたちは、
- 知的発達に遅れがないため、その特徴が周囲から理解されず、 不適切な対応が生じる可能性がある
- 理解不足により、否定的な評価や叱責等の不適切な対応が積み重なると否定的な自己イメージをもったり自尊心が低下したりする
- そのことによって、情緒の不安定、反抗的な行動、深刻な不適応 の状態等を招くことがある
そのような 二次(的な)障害を軽減することが重要 である
上記の文面、過眠勢もおおむね当てはまると思うんです。
「その特徴が周囲から理解されず、不適切な対応が生じる」辺りが特に。それから「否定的な評価や叱責が積み重なり、自尊心の低下」辺りなども。
繰り返し繰り返し自分を否定して、他人によって否定され続けた結果、各種 精神疾患に行き着くことは珍しくない事例ですってね。うつ病や不安障害などなどなど。
そうならないためには自尊心、自己肯定感を保つことが必要不可欠だそうです。しかし幼年期や成長期に受けた傷というものは大人になってからでも、そうそう治りにくいものですし、既に二次障害を発症していることもありえます。そうなると益々対処が難しいでしょう。
二次障害を起こさないためには?
最も重要なことは、早期に疾患があると気づくこと。周りの人が気づいてあげること。その上で適切な対応をしてあげること (疾患の特性を知った上で接すること)
早期とは、本当、できるだけ早くです。早ければ早いほどよいです。ここであえて「周りの人」と表記している理由は、この手の障がいは自発的に気づくのは非常に困難であるからです。 本人が見えているのは近くにいる他者です。自分のことはよく見えません。自分が一般の基準からずれていることは自覚できないのです。これは二次障害を起こす可能性のある、どの障がいにもおそらく共通していることだと思います。
私の場合も睡眠障害のナルコレプシーであることに成人してから気づきました。学生でなくなり、起き続けていることに対する苦しみを今まで以上に (毎日) 感じ続けるようになったことが大きかったです。そして自分に対する違和感を持ったのです。そうなるまで、発症したと思われる年から数年経っていました。
必要としていること
情緒障害のある子ども の 「心の成長」に 不可欠 な前提 は ?
- 「安全感 ・ 安心感」の保持 ・アタッチメント アタッチメント (愛着 ) の確立 と 安定化
- 自己の「情動・覚醒レベル」の調整 ・自己調整の力の獲得と定着
内的圧力 の 高まり と 外的環境にある ス トレスの均衡を保 つ
↓
「安全感を得れば、ヒトは外界の探索へ向かう」傾向を持っている
⇒知らないモノやコトを知ろうとする 「学び」 へと向かう
ヒトが外界の探索へ向かうためには、「安心感」を得ることが必要……!! 出来ることならば(障がいの有無問わず)、幼少期に適切に得たいものですね!!!!
「ナルコレプシーのような過眠に必要なものは周囲の理解」と当事者たちはよく言います。ヒトは少なからず周囲との繋がりの中で生きているため、(個人差はあれど) 他人の対応に影響されるものなのです。身近なところで言えば、顔見知りに出会い頭に挨拶してもらえるのと、目を背けられるのとではどちらが精神衛生に良いでしょうか。気にしないと言う人もいますが、傷つく人もいるのです。そんなレベルでも積み重なると人の心を崩していくのです。
睡眠発作で眠ってしまったとき、叱責されるのと、放っておいてもらえる(受け容れてもらえる) のとではどちらが苦しくないのでしょうか。
誰だって怒られるのは嫌いです。人の怒りを望んで買いに行きたがる人は極々少数派です。いつでも眠ってしまうようになりますと、その怒りをどうしようもなく招いてしまう自分という存在が段々嫌いになるのです。自発的に嫌いになるのではありません。他人に繰り返し叱責されることにより、怒られる原因の自分が嫌いになり、自尊心や自己肯定感が低く、低くなっていくのです。
周囲に自分の障がいを一種の個性として受け容れてもらえることによって、本人は今日も平穏に生きていけるのです。
私たちは平素、いとも簡単に「理解」を口にします。しかし本当は、真実の理解なんてあり得ない。不可能なのではないか、結局は「黙って受け容れる」ことしかないのでは? と思うようになりました。
引用:『晩鐘/ 佐藤愛子』文藝春秋
我々のような人と時間を過ごすことがあったならば、上記のように「黙って受け容れる」そうしていただけることを願ってしまうのです。
当事者でないにも関わらず、知ろうとしてくれる人がいたならば非常にありがたいことです。それでも最終的にはただ、受け容れていたきたいだけなのです。
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おわりに
運のよいことに私はナルコレプシーを発症後も二次障害を起こすことはなく、今日まで過ごしてこれました(たぶん)。今思えば、開き直ることで自分の精神を守ってきたのでしょう。
それでも「最も信頼できない存在の一つが自分」という思想にはなりました。幾度となく(寝落ちる) 自分に裏切られてきた人生でしたから。自分のことは (そんなに) 嫌いではないですが、信頼はしていないのです。こういうのも自己肯定感が低いというのでしょうか。
最後に、今回の内容を書くきっかけになった記事を紹介します。
身近な人が受け容れようとしてくれるのは尊いことです。
二次障害で苦しむ娘に、私たち家族はどう接すれば良いのでしょうか。寄り添うと簡単に言葉では言えますが、それほど容易な事ではありません。娘の調子がひどくなるのは、心が不安定になったときです。心の安定には、もちろん薬の力も必要ですが、やはり娘本人が「安心感」を持てるかどうか、なのだと思います。そのためには、安心できる環境と、安心できる関係、この2つが大切だと考えています。娘にとっての安心できる場所が「家」であり、安心できる関係を「家族」と築いていけたら、心も安定していくのだろうと思います。苦しんでいる娘に明るい笑顔が戻るまで、娘の話をしっかりと聞き、共感し、気持ちを受け止め、受け入れていきたいと思います。
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「眠れないよりはいいんじゃない」
— りつ@ナルコレプシー (@rit_narcolepsy) 2016年5月24日
「どこでも眠れていいね」
そう言う人もいます。
よく眠れていいと感じるのは、眠気を自分で制御・管理出来る人の範囲内でしょう。常軌を逸して、意思関係なく眠りに落ちることが羨ましいはずがないです。#narcolepsy #ナルコレプシー #過眠
過眠を打ち明けたときに「自分もよく寝ちゃうよ」と言われるのが、最も嫌な返しの一つ。
— りつ@ナルコレプシー (@rit_narcolepsy) 2016年6月16日
ほんとに!? ほんとに寝落ちる? (第一志望の)入試でも、身内の葬式でも、上司とマンツー対面時でも?#ナルコレプシー #過眠