『君の名は』映画『君の名は。』公式サイト
2016年8月26日から公開が始まり、11月19日現在。世の熱はまだ冷めていないようです。
さすが、2016年のヒット商品2位なだけあります。(ちなみに1位はポケモンGO:
「2016年ヒット商品」1位はポケモンGO、2位は『君の名は。』 | ORICON STYLE)
上記予告映像の通り、ストーリーの設定は夢の中で二人が入れ替わっていたって話。(でも実際は夢じゃなかった)
入れ替わっている間はお互いの生活を代わりにしたって話。
私の持病(ナルコレプシー) は、睡眠時の脳波の関係上、一般に比べて異常な頻度で夢を見ます。なので「夢を見る」というキーワードにはつい注目してしまいます。今回は彼らが何故「君の名は」と、入れ替わった相手の名前を憶えていなかったのかについて考えたことをつづります。
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目次
注意事項
・【以下ネタバレ含む】
・ここでは、「不思議現象」「超常現象」「奇跡」などという言葉は考えないものとする。
・なるべく「人間の脳」という観点から言及する。
・入れ替わった二人は、現実ではなくあくまで「夢の中」にいたものして考える。
・ただの考察記事なので、その考えが合っているか否か、論議を求めている場ではない。
なぜ名前がわからない
作品中の登場人物の瀧と三葉、二人が就寝すると、心と体が不定期に入れ替わるようになります。その入れ替わった先でお互いの日常を代わりに過ごし、また就寝すると元に戻るという生活です。
その入れ替わった先で相手の生活をしているということは、相手の名前で呼ばれて、それに反応しているのですが、元の自分に戻ると二人とも相手の名を忘れてしまうのです。それはなぜか。
実は夢を見たことを記憶していたとしても9割の内容は忘れてしまうのだそうです。ちなみに起きて5分で半分忘れてしまうのだといいます。
引用:あまり知られていない「夢」に対する驚くべき10の真実|面白ニュース 秒刊SUNDAY
365日中、365日夢を見る私でも、その内容の9割は忘れています。たまに忘れたくないものや、話のネタになりそうなものについては、起きた直後に記録することによって、その記憶を留めています。ごくたまに記録も何もしなくても、覚えているものがありますが、それは出来事に対して感情が驚きでいっぱいになったときに限るので、非常に特異なケースです。(例:某有名俳優さんと同窓生だった夢みたいな)
作中で瀧は、自分の身体に戻ってから、ノートに絵や、メモを残すことによって自分に起きた出来事の記憶を留めようとします。しかし肝心の彼女の名や、地名などは記録することができませんでした。そのため、入れ替わった際に「おまえは誰だ?」というメッセージを残します。それを見た後、三葉が彼の身体に「みつは」と書き、瀧は彼女の名前を知りました。
つまり記憶していたのではなく、記録されたものを見て、やっと彼女の「名」を認識するのです。それも後に忘れてしまうけれど。
我々も、旧知の人や、旅先で訪れた地名が思い出せなくても、その人とや、旅行で起こった「出来事」を記憶していることはできます。このように人間にとって、「出来事」の記憶よりも、「名」を記憶し続けていることの方が難しいと伺えます。
なぜ時間軸が違うと気づけない
瀧と三葉は入れ替わりますが、同じ時間軸ではありません。二人の間には三年のずれがあります。
瀧からの視点⇒三年前の三葉
三葉からの視点⇒三年後の瀧
三葉が瀧に会いに岐阜県から東京都に向かった際、瀧に会うことはできましたが、彼女が入れ替わっていた時間からは 3年前の瀧でした。そのため、彼は三葉のことが誰だかわからなかった、というシーンがあります。
お互いの生活を代わりに過ごし、学校にも通ったのだから、日付くらい気づくだろうというのが現実を生きる我々からの見方です。ただし夢を見ている間ではどうでしょう。
気づけない理由
考えられるものは二つ
一つ目:(上記に挙げた内容) 起きてから忘れた、あるいは記憶できなかった
十分にあり得ることですが、夢を見ている間でも、「驚いた」り、「感情がとても大きく動けば」記憶していることも可能です。「入れ替わった」ということで十分に驚いているので、日付については驚くまでに至らなかったというのも考えられます。また、名や地名を覚えられないのですから、日付という数字情報はもっと記憶しづらい、定着しづらいことだと予想されます。
二つ目(個人的にはこちらの方が有力) :メタ認知ができなかった
メタ認知とは
夢を見ている当人は、前頭前野外背側部の活動が低下しているため、それが現実だと信じて疑わないのだ。夢の中では、思考も、過去を思い出すこともできない。ただ体験と感情があるだけだ。「メタ認知」という概念がある。これはヒトが思考や行動、認知をしているときに、それを客観的に「いま自分は思考をしている」と認知することであり、それをおこなう能力をメタ認知能力と呼ぶ。つまり「認知していること」を認知できる能力である。
引用:『睡眠の科学/ 櫻井 武』講談社
「夢の中では、思考も、過去を思い出すこともできない。ただ体験と感情があるだけだ」
夢を見ている間は、「見ているものを現実として信じて疑わない」のです。某有名俳優さんが同窓生だという夢を見ている間は、私も信じて疑いませんでした、夢を見ている間は。与えられた情報は「そういうものなのだ」と受け入てしまうのです。そのため、彼らの視界に日付の情報が入ったとしても「そういうものなのだ」と思えるのです。
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まとめ
・夢で起こったことは、起床して時間が経つと忘れていく。
・「出来事」に比べて「名前、地名」のような「情報」を記憶することは難しい。夢でも現実でも。
・夢の中では、それが現実だと信じて疑わない。⇒ 夢で見ている日付が現在の自分だと信じる。
以上のような理由から「あの人の名前が思い出せんの!!!」と言っていた三葉や、「俺は3年前の三葉と入れ替わっていた!? え!!?」的な反応をした瀧にも納得がいくわけです。
繰り返しますが、二人が「夢の中にいた」ものとして考えた際のことです。
よく、「記憶の定着には睡眠が不可欠」という類のことを言われていますが、それは "起きている間に" 見た記憶の定着です。夢を見ている間に与えられた情報を記憶、定着することとはまた別なのです。
おわりに
毎日夢を見ている身としては、『君の名は』という作品は感慨深いものがありました。なんてロマンがあるのでしょう。私がよく見る、あの猟奇的現場の夢もひょっとしたら誰かと入れ替わっているのかもしれない…と、思っていないです。嘘です。
「二人が入れ替わった」という作品は、これまでにいくつもありましたが、「夢の中で」というのは真新しいです。かつ入れ替わるという点では見慣れたものを扱っているので、なんてストーリー構成が上手いのだろうと感嘆しました。
しかしながら、「夢」というテーマがあまりに私の日常すぎて、映画を見ている最中でも、上記につづったようなことを考えていました。ある意味ストーリーに集中できていないといえばそうなのですが。鑑賞中に色々思考が出来ると、眠くなることから遠ざかるので その点はすごくよかったです。
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