随分前に見たTEDですが、話題にしたくなりました。
コメディアンでジャーナリストのステラ・ヤングは、たまたま車椅子で生活をしています。ヤングが強調したいのは、この事実だけでヤングが全人類を感化するような気高い存在になるわけではないと言うことです。この面白い講演で、ヤングは私たちの社会が障害者を「感動ポルノ」にしてしまう風潮を批判します。
上記同サイト紹介文引用
障がい者は健常者を感動させるために存在しているのではない。と彼女は主張します。
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内容抜粋
・15歳の功績賞にノミネートしたいと言われた。けれど私は何の功績もない。学校に行って、友達と遊んだり、ドラマを見ていただけで並外れたことなど何もしていなかった。
・障がい者は人として扱ってもらえない。感動を与えるための存在
・「感動ポルノ」と呼ばれるもので障がい者は健常者のために利用している
→ 健常者を感動させやる気を起こさせること、障がい者の彼らよりはましだと思うこと
・私は自分の身体の可能性を最大限発揮している。他の障がい者の子たちも特別なことなどしていない。自分たちの身体能力を最大限引き出しているだけ
・闘う相手は自分たちの身体や病名ではなく、私たちを特別視し、物として扱う世界
・私が住みたいのは、障がいが特別視されるのではなく普通だと思われる世界
・私が住みたいのは、障がい者の人たちにそんな低い期待を持たない世界
→朝起きて、自分の名前を覚えている、そんなことで賞賛されない世界
・私が住みたい世界は、我々障がい者が真の成果で評価される世界
・私が住みたい世界は、新しく来た高校教師が車椅子に乗っていても生徒が微塵も動じない世界
感想
2014年12月6日 逝去されたステラ ヤングさん、ご冥福をお祈りします。
この種の弊害は、視覚的に何かしらの障害があるとわかる方に多くあるのでしょう。
このスピーチを見る度に、思い出す度に毎年夏に放送されている某TV番組が浮かびます。(24時間マラソンとかをやっているアレ) 障がいがある方が何かに挑戦するところを放送しているアレの狙いは間違いなく「感動」させようとしているのでしょう。
目標を決めて、頑張って挑戦している人に対して応援したくなるって人は少なくないものです。その対象が一般的に「健常者」と呼ばれる人であっても、「障がい者」と呼ばれる人であってもその気持ちは対等に持つべきであるってこと。
それでも大衆への放送に対して採用されるのは、あえて何かしらの「障がい」がある人が挑戦する場合の比率が多いのが現状です。それも特に「目に見えて障がいがあるとわかる人」
彼女が言うには、彼らは自分の身体能力を最大限引き出しているだけなんですって。その点は障がいの有無に関わらず誰も彼も同じなんですって。
人間は「特別」と見られたい訳ではないはずです。他人と対等に扱われたいと願うものです。
なので日本も、まずは「感動ポルノ」な番組がなくなればいい。
私はあなたではないので、あなたの気持ちはわからない。あなたは私ではないから、私と同じようには感じられない。
— りつ@ナルコレプシー (@rit_narcolepsy) February 17, 2017
つまり、相手の言うことに対して「そんなはずない」と言うのは間違っている。#啓発 #マイノリティ
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