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『超訳 日本国憲法』 を読みました

池上 彰さんが日本国憲法を超訳、つまり内容を解説してくださっている本を読みました。池上さんらしく、基礎知識がない人でも分かりやすいようにつづられています。

何年も前から「憲法九条改正」のように一部を改正することが提案されているというニュースを見かけます。ですが、自分はその憲法についての知識は皆無に等しいと思ったのが、読了に至るきっかけです。改正するもなにも現状がどうなっているのか、自分は知らないことに気づいたんです。

読了した今となっては、自分の住む国にシステムの決め手になる最高法規をなぜ今まで知らなかったのだろうとも思います。

せっかくお勉強をしたので、自分の中で特に目を引いた箇所を記録しておきたいと思います。印象に残ったものの一部

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目次

 


日本国憲法について

憲法と法律の違い

憲法とは、大臣、議員、裁判官やその他の公務員のような(権力者)が守るべきこと

法律とは、国民が守るべきことを具体的に示したこと

憲法を改正するには、衆議院と参議院のそれぞれの三分の二の賛成があった上で国民投票を行い、過半数の賛成が必要である。

日本国憲法は「アメリカに押し付けられたもの」とは言い切れない。

GHQ(連合国軍総司令部)のマッカーサー司令官は日本に民主的な憲法を作るように求めました。ところが、日本側は前憲法の大日本帝国憲法(明治憲法)と変わらないものにしようとしたため、GHQの方で草案を作り、それに日本が修正を加えたり付け加えたりなどをして出来上がったものですって。

GHQが草案を作るときに日本の様々な団体が指摘する憲法改正案を参考にし、日本側で修正もしている。そのため「アメリカから一方的に押し付けられた憲法」とも言い切れない理由です。

私は日本側で修正をしているのなら、「一方的な押し付け」ではないと考えます。それが真実であるならば。

義務教育とは誰に対する義務か

成人に対する義務でした保護者は、保護する子女(一般的には自分の子供)に教育を受けさせる義務があります。

言われてみれば確かにそうですよね。でもこのきっかけがなかったら気づくのにもう少し時間がかかったと思いました。

第二十六条     すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

②  すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

 

国民に対して勤労の権利と義務があるけれど、その中に「児童は、これを酷使してはならない」とも記載されています。子供には教育を。勤労ではなく教育を。

15歳以下の子供に対しては、「教育を受ける権利」があります。どの子供にも平等に教育を受ける権利があり、さらにそれが実行されているとは素晴らしい。その子がどれだけ勉強が嫌いであったとしても、勉強した時間というものはその個人の糧になれるものです。

たとえ認知されていないなどのを理由に、戸籍がない子供であったとしても、この権利は共通しているものですって。以前TVで見ました。親の事情によって、子供の権利が変わることはないんですって。この内容についての新聞社による記事を見つけたので貼ります。

基本的人権の話

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超訳ver.

第九十七条    日本国憲法は、日本国民に基本的人権を保障している。基本的人権とは、人間が生まれながらにして持っている人としての権利である。これは、人類が長年にわたって努力してきた結果、獲得したものである。基本的人権は、過去に何度も踏みにじられたりしてきたが、ようやく権利として確立した。この権利は、現在の国民ばかりでなく、将来の国民に対しても、守らなければならない永久の権利である。

 「基本的人権は、過去に何度も踏みにじられたりしてきたが、ようやく権利として確立した。」過去に努力し続けてくれた結果の恩恵を私らは享受していることを再確認しました。。

 

現在の憲法で認められている基本的人権は、人が生まれながらに持っている、つまり国家によって付与されているものではありません。人々が、自分たちの権利を守るために国家を作り、国家に自分たちの権利を守らせているのです。

政府が国民の権利を侵害するようなことがあれば、国民は権利を守るために政府を倒す権利がある。これが、近代的人権概念を打ち立てたジョン・ロックの思想です。

 

政府が国民の権利を侵害するようなことがあれば、国民は権利を守るために政府を倒す権利 がある。」

国家とは国民が作るものであることにをしばしば忘れてしまいます。きっとそれはいつもそこにあるから。日本国憲法が国民主権であるのも、国民が国家を作るという考えのもとのうちの一つなのかと思いました。

国の最高法規である憲法

第九十八条    この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。

 

新たな法律について論議される際、違憲であるかどうかが焦点になることは珍しくありません。違憲であれば効力を有しないからです。違憲かどうかを判断するのは司法が行います。

 

 

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他国の憲法について

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北朝鮮、中国、アメリカの憲法についても触れられていました。ここでは北朝鮮と中国について。

北朝鮮  ~平和・自由の保障との矛盾~

第十七条    自主、平和、親善は挑戦民主主義共和国の対外政策の基本理念であり、対外活動の原則である。

国家は、わが国に友好的なすべての国と完全なる平等と自主性、相互尊重と内政不干渉、互恵の原則に基づいて、国家的または政治的・経済的・文化的関係を結ぶ。(後略)

 

第六十四条    国家は、すべての公民に真の民主主義的権利と自由、幸福な物質・文化生活を実質的に保障する。

第六十七条    公民は、言論、出版、集会、示威と結社の自由を有する。国家は、民主的政党、大衆団体の自由な活動条件を保障する。

 

なんとまあ…。「憲法とは権力者が守ること」というのがガン無視ですね。弾道ミサイルで狙っていると脅してきた国がどこであったのかをつい忘れそうになります。

池上さんも同書で以下のことを述べています。

「国民の権利」は憲法に明記されているからといって無条件に保障されるものではない。人々の日々の努力によって達せられるものであることを、この憲法は私たちに教えてくれます。

中国  ~憲法を守ると逮捕される国~

第四条    1   中華人民共和国の諸民族は、一律に平等である。国家は、すべての少数民族の適法な権利及び利益を保障し、民族間の平等、団結及び相互援助の関係を維持し、発展させる。いずれの民族に対する差別及び抑圧も、これを禁止し、並びに民族の団結を破壊し、又は民族の分裂を引き起こす行為を禁止する。(後略)

チベットや新疆しんきょうウイグル自治区での弾圧ぶりを見ると、皮肉な条文です。

 

独裁政権や、共産党による統治国家であっても、憲法では人権、国民の自由や権利なども記載されています。

それでも現実は憲法が定めるようにはなっていないのです。つまり日本でも憲法で国民主権を定めてあるからと甘んじてはいけないってことだとよくわかりました。憲法を守らせる努力をし続けなければならなかったんですね。「うち(日本)は大丈夫」と思っているとしたら、それは最も危険な考えの一つであると思います。


まとめ

本の帯に「一生役立つ! 国民必読!」と書いてあるのは伊達ではなかったです。自分が暮らす国のシステムの根源について見つめ、考える機会になりました。憲法の条文は別として、池上さんの文面は柔らかくて難解な言葉はあまり使われていないので、読むことにそれほど大きな労力はかかりませんでした。

 

まさか海外の憲法についても記載されているとは思わなかったので、驚きましたが、同時に日本だけでなく、他国のこれからの見方も変わっていける気がします。

 


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