かの有名な村上春樹さんの作品を、そういえば一作も読んだことがなかったので、まずは一冊。他の有名タイトルを押しのけてでも、この手の名がついていますと、どうしようもなく手にとらずにはいられませんでした。
短編小説の上に挿絵も織り交ぜられてます。どちらかというと読みやすい方に属すると思います。ページ数は87。それに挿絵が何ページか含まれているので、実質もっと短いです。
内容は夫、息子がいる専業主婦が不眠になったという話。不眠になって2週間以上も一睡も出来ていなくて、その過程で心が解放されていくような、壊れていくような話。
スポンサーリンク
第2節で感動というか、感激した部分がありました。
「眠れなくなった日のことはよく覚えている」と回想に入るシーンにて、彼女が眠れなくなった日、現実的な夢の一部で、現実的な悪夢を見たときの描写が素晴らしかったのです。
悪夢を見て、金縛りにあって、目を覚ましたはいいけれど、身体は動かない。ベッドの側には見知らぬ老人が立っていて、足に水をかけていくと描写と心情が書かれています。その彼女は、水が流れているのは「見える」けれど、流れる水を感じることは出来ていませんでした。やはり五感がある現実的な夢ってレアなのですね。
それにしても、金縛りと幻覚を見ているときの形容しがたい感覚と感情を文章でつづってくれていることはとても喜ばしく思いました。
これは夢じゃない、を私は思った。私は夢から覚めたのだ。それも漠然と覚めたのではなく、はじかれるように覚めたのだ。だからこれは夢ではない。これは現実なのだ。私は動こうとした。夫を起こすか、あるいは電灯をつけるか、でもどれだけの力をふりしぼっても動けなかった。
このような恐怖を感じる鮮明な夢を体験したことにより、脳が無意識のうちに眠ることを拒否するようになったのでしょうかね。何が理由であれ、自分には永遠にわからない感覚でしょう。
毎日同じことを繰り返していた専業主婦の生活が、眠りを失うことにより変化が生じます。今まで睡眠に当てていた時間に前の自分に戻るために使うようになったのです。
家族の寝顔を見て、愛以外に負の感情が湧いてきたり、結婚前に行っていた習慣を行ったり。そして、「私は消費されたくない。たとえ眠らないことにより発狂することになったとしてもかまわない」とまで思うようになるのです。
この小説のラストは続きがとても気になるところで終わっていました。結局彼女がどうなったのか、はっきりと記されていないところが、読者の想像力を駆り立てます。その後味の悪さ、決して嫌いではないです。
また、物語の中で、睡眠についての本を探していて、その際に見つけた書籍に書かれていた、という形式でこのような記述もありました。
人は眠りの中でかたよって使用された筋肉を自然にほぐし、かたよって使用された嗜好回路を鎮静し、また放電するのだ。そのようにして人はクールダウンされる。眠りは人というシステムに宿命的にプログラムされた行為であって、誰もそれをパスすることはできない。もし眠りを失えば、人の存在基盤を失ってしまうことになる
不眠が「人」の存在基盤を失うものですって。 過眠は「生物的」には存在基盤は失っていなくても、「社会的」には存在基盤を失いかけるものです。
関連記事